明日やろうはくまやろう

明日やろうはくまやろう

くまやろうが雑記します。とりあえず3/31までに50記事を目標に。

クイズ番組の答えを、一緒に観ている誰よりも早く答えたい

テレビ離れが叫ばれている現代ではあるが、僕はかなりのテレビっ子だ。

 

家にいるときはずっとテレビがついている。しかも流し見じゃなくて、8割方はがっつり観る。

 

そんな僕が、ネタ番組トークバラエティとニュース番組の次によく観るのが、クイズ番組だ。

 

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東大王、Qさま、ネプリーグ、今夜はナゾトレ、潜在能力テスト、99人の壁…

 

現在、数多くのクイズ番組が地上波で放送されている。これだけたくさんやるということは、やはり人気なのだろう。

 

少し前の高校生クイズとか、頭脳王のように、わけのわからない問題を、わけのわからないくらい頭のいい人たちが鮮やかに答えるのも好きだ。

 

それで、たまーーーーにわかったときはめちゃくちゃ嬉しい。知識問題は無理だが、ひらめき問題なら結構解けたりするのだ。

 

人は、スポーツでも音楽でもクイズでも、なにかに飛び抜けたすごい人を見るのが好きなのだと思う。

 

まあ今日の頭脳王は、少し視聴者を置いてけぼりにしすぎな気もしたけれど(笑)

 

こういう「誰がわかんだよ!」って感じのクイズ番組も、振り切りすぎて笑ってしまうから、それはそれでいい。

 

しかし、問題を出されている身としては、そりゃあ答えたい気持ちもある。

 

かといって、こんなん誰でもわかるでしょ、というようなヨイショ問題ではつまらない。

 

「うーん、ちょっと待って。止めて止めて!わかりそう!いやいや、ヒントいらないからやめて。よしよし、cm入ったな…。あっ、わかった!」くらいの、ギリわかる問題が一番おもしろいのだ。

 

そんなクイズ好き(?)の僕が、最近注目しているのは99人の壁だ。

 

99人の壁は、自分の得意なジャンルの問題で、同じように別の得意なジャンルを持って来ている99人と戦う、というクイズ番組だ。(すいません。説明が下手なので知らない人は調べてみてください)

 

得意なものが一個でもあれば、誰でも番組に出演できる可能性がある、というのが魅力的だ。

 

ところで僕は、テレビをみすぎているせいで、cmを結構覚えている。

 

最初の1、2秒を聞けば、大体なんのcmかわかるのではないだろうか。

 

もし99人の壁で、「cmイントロ」というジャンルで出ている人を見つけたなら、それは多分、僕だ。

 

もしも僕じゃないとするならば、そういうこともあるのだろう。

 

さっき美女に道を聞かれたけど、これってモテ期にカウントされますか?

今週のお題「わたしとバレンタインデー」

 

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人生でモテ期は3回くるといわれている。

 

もちろん、人によって程度の差があることは否めない。

 

普段からモテている人は「どのときのことだ?」と思うだろうし、壊滅的に異性から嫌われている人は「どのときのことだ?」と思うだろう。

 

だからおそらく、モテ期と関係があるのは、その他大勢の一般人たちだ。

 

僕の今までの人生の中で、これはモテ期だったといえるのは、小3のときだ。

 

なんとバレンタインデーにチョコを3個ももらったのだ!!

 

これはなかなかすごいことだ。

 

なんせ同じクラスに女子が15人いて、そのうちの3人だから5分の1、つまりクラスの20%の女子が僕に好意を抱いていたのである。

 

それはつまり、すごいことだ。(語彙力)

 

 

僕の持っている数少ない「自慢」というカードの中では結構強いのを切ってしまった。

 

 

ところがである。

近頃は、

 

 

あれ?

バレンタインデーって終わったのだろうか。

 

数年前から、バレンタインは女の子が女の子にチョコをあげるイベントに変わってしまったようなのだ。

 

義理チョコ、友チョコ、逆チョコ、最近はインスタ映えするチョコ、だろうか。

 

毎年いろんな流行を作っているようだが、クリスマスやハロウィンに比べると、最近のバレンタインはずいぶんと盛り上がりに欠けるように思う。

 

昔はバレンタインデーの日になれば、授業中も給食のときも掃除の時間も、チョコをもらえるんじゃないかとドキドキしていた。

 

男子にとって、年に一度の大イベントだったのだ。

 

あの頃のバレンタインデーを返してくれ!

 

 

…わかっている。

 

そういうバレンタインも、まだ確かに存在しているということを。

 

きっと今日もどこかで、何人もの女性が好きな男性にチョコレートを渡している。

 

ただ、それらの蚊帳の外にいる僕には、バレンタインデーがつまらないものに感じられて仕方がないのだ。

 

バレンタインデーよ。八つ当たりしてわるかった。

君に罪はない。

 

僕はせいぜい、小3のときの栄光をしみじみと思い返すしかないんだよな。 

 

あのときは確か…

 

あ、そうだ。

 

嬉しくてもらったチョコを大事に机の中にしまっていたら、そのまま何日も経ってしまい、ほとんど食べないまま腐らせてしまったんだった…

 

みなさん、もらったチョコはすぐに食べるのがおすすめですよ。

自己紹介の正解

趣味というほどのものでもないが、本を読むのが好きだ。

 

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先日、部屋の掃除をしていたときに中学生の頃の自己紹介プリントがでてきたのだが、そこのマイブームの欄に「古本屋で良い本を探すこと」と書くくらいは、好きだ。

 

いま思えば、なかなか渋い。

 

そういえば小学6年生のとき、授業参観で僕らが書いた自己紹介を先生が発表し、みんなで誰か当てる、みたいなのをやった。

 

そのとき、趣味はチェス、好きな食べ物はエスカルゴと書いていた僕は、父兄の皆様方にそれがお金持の松本くんのものだと勘違いされ、正解発表で母に恥ずかしい思いをさせてしまった。

 

もちろん当時の僕は、パソコンの無料ゲームでチェスを数回やっただけだし、サイゼリヤで食べた初めてのエスカルゴに感動した、しがない小学生だった。

 

そう考えると、自己紹介というものは意外と難しい。

 

 

趣味か。昔テニス部だったけどいまやってないしなぁ。

読書、っていうほど本読んでないし。

筋トレは好きだけど全然詳しくないんだよね。

 

なんかいった手前、自分よりすごい人が出てきて、なんだにわかじゃんとか、その程度かよとか思われるの嫌だな。

 

特技なぁ…

人より秀でてるものなんて、俺にはないよ…

俺に生きてる価値なんか…

 

 

と暗い話にもなりかねない。

 

 

趣味とか特技とかって、なんだか言葉に重みがあって、深く考える人は考えてしまうのだ。

 

たとえば趣味が、「好きなこと」とか、「休日にすること」に。特技が、「人よりちょっと自信あること」とかに変われば、もっと気軽に言えると思うのだが。

 

それこそ小6のときみたいに周りの目をなにも気にしないで堂々とすることができる。

 

 

とはいえこっちがいくら気を使って「好きなことは本を読むことです」とか表現を変えても、あっちが「読書が趣味なんだ」と受け取っては意味がない。

 

いちいち「いやほんと趣味とか言えるほどじゃないんですけど」というのも面倒くさいし、実際は凄いけどあえての謙遜パターンもあり得るからややこしい。

 

 

んー。もう自己紹介やめちゃうのはどうだろう。

 

小さい頃を思い出して欲しい。

公園でたまたまそこに居合わせただけの子と、あれだけ楽しく遊んでいたではないか。

 

そう、名前も知らないあの子と。

 

一緒にいるうちに相手のことがわかっていくものだから、最初にごちゃごちゃいう必要はないのだ。

 

 

まあでも、名前くらいは名乗ってもいいか。

 

僕の名前は…

 

くまちゃんです!

 

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自己紹介の正解はこれだ。

 

 

 

 

たぶん。

 

 

 

 

 

熊も熊すりゃ熊に熊

猿も木から落ちる、犬も歩けば棒に当たる、猫に小判、豚に真珠…。

 

世の中には、動物を使ったことわざや慣用句が多く存在する。

 

そこで僕はふと思った。

熊が入っていることわざや慣用句って、なくないか?

 

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くまやろうと名乗っているだけあって、僕は熊に関して人一倍こだわりが強い。

 

 

名前はくま。

アイコンくま。

LINEスタンプはいつもくま。

自己紹介は「くまちゃんです!」

 

 

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「熊 ことわざ」でネット検索したところ、以下の3つがヒットした。

 

 

1.蟻の熊野参り

2.伊勢へ七旅 熊野へ三度

3.欲の熊鷹 股裂くる

 

 

1と2は熊野という地名のことを指しており、動物の熊が登場しているわけではないのでノーカンである。

 

3は、おっ熊と鷹が出てきてるじゃん!と思いきや、実はこれ、熊鷹という鷹なのだ。

 

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なんやそれ。

 

というわけでざっと調べた範囲では、熊が入ったことわざ慣用句は存在しないみたいだ。

 

 

そこで提案するのが僕のブログのタイトルでもある、「明日やろうはくまやろう」である。

 

まず、明日やろうは馬鹿野郎というフレーズはご存知だろうか。

 

ドラマ「プロポーズ大作戦」で使われたのが元ネタ(たぶん)で、今できることを明日に先延ばしするなという格言である。

 

これにインスピレーションを受け、盛大なリスペクトの後、オリジナリティを加え、オマージュしてできたのが「明日やろうはくまやろう」である。

 

どうだろう?

馬と鹿の二頭を相手にしても熊の方が強そうだし、平仮名にすることによって可愛らしさも演出している。

 

え?このことわざの意味?

 

(語呂がいいからタイトルにしたけど、意味なんて考えてなかったなぁ…)

 

 

なんかこう

すぐに行動するのも大事だけど

焦るのはよくないし

ときには

明日に回すことがあっても

いいんじゃないかなぁ

にんげんだもの

 

くまを

 

 

 

 

まあ、これでようやく熊のことわざ慣用句が誕生したわけだ。

 

と、思いきやである。

 

すでにお気付きの方もいるだろうが、先ほど挙げた3つのことわざを棄却したのと同様、「くまやろう」は入っているが、熊という動物そのものではない。

 

したがってこれを棄却する。

 

 

熊を含むことわざ慣用句を発見または発明した方は、是非僕にご教示いただきたい。

 

 

当選者の方にはくまやろうストラップを差し上げます。

 

それでは、そろそろお時間となります。お相手はくまやろうでした。

 

See you next time.

フロリダから舞浜へ

昨日フロリダだったけれど、フロリダといえばやっぱりディズニーである。

 

というわけで、本日はディズニーについて書きたいと思う。

 

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思ったのだが、今日の残り時間はあと僅かとなってしまった。このへんで筆を置くこととしよう。

 

 

 

2年ぶりのディズニー楽しかったっす。

 

いざ、フロリダへ

この時期といえば、これ。

 

 

そう、受験である。このカロリーメイトのcmが大好きで、なんだか泣きそうになってしまう。

 

ちなみにcmで受験生たちが歌っているのは、THE BLUE HEARTSの「人にやさしく」だそうだ。

 

原曲よりも僕はcmバージョンの方が好きだ。

なんか学生が大勢で歌っているのって、よくないですか?

 

 

僕は高校受験と大学受験の二回の受験を経験したが、思い入れ深いのは高校受験の方だ。

 

通っていた塾の先生が熱い人たちばかりだったからである。

 

というのも、僕はなかなかにやる気のない子供だった。

 

勉強しようと机に向かっても無性に本が読みたくなって読書を始めたり、横になってやろうとしてそのまま寝たり、ダメな受験生の典型だった。

 

しかし、塾に行って熱い先生たちの授業を聞いたときだけ、なんだかやる気がどんどん湧いてきたのだ。

 

 

前田祐二さんのメモの魔力に、熱は高いところから低いところに伝わっていく。その差が大きければ大きいほど効果は絶大だ、ということが書いてある。

 

 

これは本当にその通りだと思う。

先生たちの熱が僕に伝わり、熱くしてくれたのだ。

 

でも授業が終わって、家に帰ってご飯を食べたり、学校に行ったりするうちにそのやる気はだんだんなくなってくる。

 

また塾に行くとやる気がでる。その繰り返しだった。

 

幸いなことに、受験間近には自習室を含めほとんど毎日塾にいっていたから、僕はモチベーションが下がり切る前にまたあげることができた。

 

そのおかげで、僕は見事第一志望に合格した。

先生には感謝してもしきれない。

 

(高校のときはほとんど塾に行かなくて、僕は自分の性格を存分に発揮したため、受験は惨敗に終わったのだが笑。)

 

また、竹原ピストルさんのオールドルーキーという曲に、こんな一節がある。

 

必要なのは走り続けることじゃない
走り始め続けることだ

 

これを聞くと、「モチベーションを保てない自分に嫌気がさしていたけど、なんだ、下がってもまた上げればいいのか!」と気持ちが楽になる。

 

熱は冷める。

ならまた熱せばいい。

 

そう、追い焚きのようにね。

ではフロリダ(お風呂で離脱する)なので、また。

スライドショーはなぜ感動するのか

スライドショーって、ずるい。

 

なにがずるいって、あんなもの感動するに決まっているではないか。

 

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最初に写真と音楽を組み合わせた人は天才だと思う。

 

一番最近だと、MOROHAさんのエリザベスという曲のミュージックビデオで泣いた。

 

もちろん曲や歌詞自体の良さもあるけれど、やはりスライドショーの効果は絶大だ。

 

 

 

単純に、僕が涙もろいというのもある。

最近は本当に涙もろい。

 

年をとると涙もろくなるというが、ちょっと早い気がする。

 

音楽を聴いて泣いて、「泣けるcm」を観て泣いて、彼女が泣くとつられて泣いて。

 

 


こんなこともあった。
 

数年前の成人式のとき、スライドショーがあった。

何千人の中から選ばれた代表の子の、生まれたときから二十歳までの写真が、音楽とともに流れる。

 

とはいえ全然知らない人だ。

大会場なので周りにはたくさんの人がいるし、隣には友達がいる。

さすがに感動しないだろう、ましてや涙を流すなんて、と高を括っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、号泣なんですけど。

 

 

その子のスライドショーに自分を重ねて、20年間の自分の成長や変化に想いを馳せたり、両親や周りの人への感謝の気持ちが溢れたりした…

 

わけではなく、

 

そのスライドショー自体に感動してしまったのだ。

 

一緒にいた友達はぽかんとしていたなあ。

そりゃそうだ。なかなかあの状況で泣くやつはいないだろう(笑)

 

 

 

スライドショーはなぜこんなに感動するのか。

 

僕はこう考える。

 

写真は日常の一瞬を切り取ってくれる。

 

でも一瞬であるがゆえに不十分だ。 

 

だから僕らは空白を埋めようとする。

想像してしまうのだ。写真には写っていない、でも確実にあったはずの、ストーリーや空気や感情の揺れを。

 

スライドショーは素早く写真が切り替わるから、それらが音楽とともに一気に押し寄せてくる。

 

受け止めていた心の器はやがていっぱいになり、涙となって溢れるのだろう。

 

 

スライドショーって、ずるい。

 

 

ずるくて、きれいで、だいすきだ。