スライドショーはなぜ感動するのか
スライドショーって、ずるい。
なにがずるいって、あんなもの感動するに決まっているではないか。
最初に写真と音楽を組み合わせた人は天才だと思う。
一番最近だと、MOROHAさんのエリザベスという曲のミュージックビデオで泣いた。
もちろん曲や歌詞自体の良さもあるけれど、やはりスライドショーの効果は絶大だ。
単純に、僕が涙もろいというのもある。
最近は本当に涙もろい。
年をとると涙もろくなるというが、ちょっと早い気がする。
音楽を聴いて泣いて、「泣けるcm」を観て泣いて、彼女が泣くとつられて泣いて。
こんなこともあった。
数年前の成人式のとき、スライドショーがあった。
何千人の中から選ばれた代表の子の、生まれたときから二十歳までの写真が、音楽とともに流れる。
とはいえ全然知らない人だ。
大会場なので周りにはたくさんの人がいるし、隣には友達がいる。
さすがに感動しないだろう、ましてや涙を流すなんて、と高を括っていた。
いや、号泣なんですけど。
その子のスライドショーに自分を重ねて、20年間の自分の成長や変化に想いを馳せたり、両親や周りの人への感謝の気持ちが溢れたりした…
わけではなく、
そのスライドショー自体に感動してしまったのだ。
一緒にいた友達はぽかんとしていたなあ。
そりゃそうだ。なかなかあの状況で泣くやつはいないだろう(笑)
スライドショーはなぜこんなに感動するのか。
僕はこう考える。
写真は日常の一瞬を切り取ってくれる。
でも一瞬であるがゆえに不十分だ。
だから僕らは空白を埋めようとする。
想像してしまうのだ。写真には写っていない、でも確実にあったはずの、ストーリーや空気や感情の揺れを。
スライドショーは素早く写真が切り替わるから、それらが音楽とともに一気に押し寄せてくる。
受け止めていた心の器はやがていっぱいになり、涙となって溢れるのだろう。
スライドショーって、ずるい。
ずるくて、きれいで、だいすきだ。