協調性がない人のチームワーク
幼少期から僕はいろんなスポーツをやってきた。サッカー、テニス、野球、水泳、ラグビー、バドミントン。学校の授業や遊びも入れたらメジャーなスポーツは大体やっただろう。
それでわかったことがある。
僕は集団競技に向いていないということ。
チームスポーツは自分がミスをすると仲間に申し訳ないと思うし、仲間がミスするとどうしてもその人に責任を押し付けてしまいたくなる。
個人競技の方が気が楽なのだ。
とはいえスポーツに限らず、チームでなにかをやる機会は意外と沢山あって、避けては通れない。
たとえば高校生のときのこと。学校の一大イベントといえば運動会だった。特に高3が運動会にかける想いは強く、クラスはひとつの大きなチームだった。
高3のメインの種目は棒倒しだ。
攻撃と守備に分かれ、ポジションや戦略を考える。練習試合では動画を撮り、後でみんなで見て改善したり、相手の弱点を探ったりもする。そうやって一生懸命になっているみんなの輪の中に、なんだかうまく入っていけなかった。
それでも優勝したいという熱い気持ちは胸に秘めていたから、筋トレや走り込みは誰よりもやったつもりだ。自信はあった。
しかし当日、僕のクラスは一回戦で負けた。負けがわかった途端、僕は嗚咽し、涙が止まらなかった。今までそんな泣き方をしたことがなかったので自分でも驚いた。滲む視界の中、周りを見回すと…
誰も泣いてない。
あれ?なんでや?
実は三年生の棒倒しは順位を最後まで決めるため、初戦で負けてもまだ試合は何個もある。いわば、ここはまだ泣き時じゃないのだ。
あらら、こんなとこでも協調性のなさが出てしまった。
それでも全ての試合が終わり、みんなで健闘を讃え合いながら抱きついたりしているときには、一体感や達成感を感じた。
そこで気づいた。協調性はなかったけれど、クラスのみんなのことは大好きだったと。
少しはクラスに貢献できていたのかな。
この経験から学んだことは、協調性のない人は誰かのために、みんなのためにと無理をせず、自分のためにやればいいということだ。意識を変えるだけで楽になれるし、それでも少なからずチームのためになっているはずである。
それがたぶん、協調性がない人なりのチームワークなのだ。と、思う。
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