マサユキと豆まき
今週のお題「わたしの節分」
そういえばいつからしなくなったのだろうということは、わりと、ある。
誰とでも挨拶を交わすこと。
素直にありがとうと伝えること。
愛する人といってきますのキスをすること。
豆まき。
反対に、いつからできるようになったのかなということもある。
つまらない話にもうまく愛想笑いをすること。
上辺だけで謝ること。
人の目を見て嘘をつくこと。
僕らは大人になっていく。
それは成長なんて都合良い言葉で片付けてはいけないのかもしれない。 じゃあ退化なのかというと、そんなに悲観的になる必要もない。
それは、変化なのだと思う。
良い悪いの尺度ではなく、それぞれの時期に違った良さがあるのだ。
時間は止まりも、戻りもしない。時間は一方向にだけ進んでいく。それはきっと、今この一瞬一瞬を全力で、楽しく生きろということなんじゃないか。
そう考えたら、この先の未来が少し明るくなるような、そんな気がするのだ。
違う違う、そうじゃ、そうじゃなぁい。
僕は節分の話がしたかったのだ。
豆まきというワードをスルーしてしまったがために、ちょっと良い感じに心揺さぶるメッセージ性の高い記事になるところだった。
本日(2019年2月3日に投稿しています)は節分である。
節分といえば恵方巻きを食べたり、家族で豆まきをしたものだった。
我が家ではいまだに恵方巻きは食べるが、さすがに豆まきはしなくなった。
いつからしなくなったんだろう。
そういえばなんで豆なのだろうと思い、調べたところ、まめは魔滅(まめ)に通じ、魔の目(魔目=まめ)に豆を投げつけて魔を滅する、ということなのだそうだ。
鬼は〜外ぉ!福は〜内ぃ!
そうやって豆を投げていた頃は、純粋で綺麗な心をもっていたなあ。
いまになってわかる。きっと鬼とは自分の心の中にいて、それを追い出していたのだ。
いつのまにか心は妬み嫉み憎しみで満たされ、誰かの不幸を願うような、嫌な人間になってしまっている。
そんなことがあるのではないだろうか。
それは心に溜まった鬼の仕業なのかもしれない。
ではどうすればいいか…
そ〜ん〜なとき、俺は
投・げ・る・ま・めッ!